かなり良い娘なのよ!

そろそろ『ハリー・ポッター』のシリーズも終わりに近づき、
初期の作品についてウダウダ書いてネタばれしたとて、困る人もいなかろうという勝手な判断のもと、
新カテゴリーの立ち上げ、その名も「親愛なるハーマイオニー」としました。

ハリー・ポッター』シリーズ登場人物のうち、Jackの一番のお気に入りは、ハリーの親友の一人、ハーマイオニー・グレンジャーです。
ちなみにお気に入り次点はスネイプ先生です。

と、このように『ハリー』シリーズファンの友人どもに話しますと、
ハーマイオニー好き」の発言時点では、「ふーん、あっそぉ」、みたいな具合。
「スネイプも良い」とカミングアウト(?)するとなると、「何故に?」となります。
スネイプは嫌われ者かもしれませんが、ハーマイオニーの評価も案外低いのかもしれません。

ハーマイオニーは一生懸命魔法を勉強して、自分の知識をひけらかして優秀なることを主張しているような部分があります。
こうした態度は、自分の能力を鼻にかけることを美徳としない、むしろ浅ましき態度として考える日本人の価値観にマッチしないものと思われます。
どちらかというと、生まれながらに天才的で、たんたんと、そして難なく能力を発揮していくハリーは日本人好み、というかむしろ「あこがれ」的キャラかもしれません。

かなり以前にこのブログ内でレビューした、新井潤美『不機嫌なメアリー・ポピンズ―イギリス小説と映画から読む「階級」』(平凡社新書、2005年)によれば、
かつてははっきりとした社会階級が存在し、現在でもその影響が強く残るイギリス社会において、
生粋のアッパークラス(上流階級)に属する人たちにとっては、学問は教養程度で十分。
学問による優秀さの主張は、むしろその下に位置する階級の人たちのためのものとなるようです。

上級の生まれの者は、学問などなくても生まれながらにして上級な人物。
学校での成績やお金を稼ぐ技の習得は、それ以下の生まれの者が劣等感を隠すための手段、という場合がままあるらしいです。(嫌な社会だなぁ)

これを『ハリー・ポッター』の世界にあてはめるとすると・・・
ハーマイオニーの両親は人間(この物語の用語で「マグル」)で、彼女は伝統的な魔法使いの一族の出身ではありません。
魔法学校内に少なくない「純潔主義者」の生徒たちが、ハーマイオニーのその点を嘲るシーンが物語上にも現れます。
彼女は自分が優秀であり、魔法学校の生徒としての資格あると、十分に示す必要があるわけです。

もう一人のハリーの親友、ロン・ウィーズリーは古い家柄の魔法使いの息子ですので、
この点ではまったく吞気なもんです。
(通常、貧乏ということでからかいの対象となりますが)

日本人にとっては「嫌味」とも受け取れるハーマイオニーの態度は、
このようなイギリス社会の特異性を考慮して受け止めてあげる必要があるわけです。

そんなわで、このJackの新企画「親愛なるハーマイオニー」は、
ハリー・ポッター』シリーズの翻訳原作本や映画のエピソードから、
ハーマイオニーがいかに「親愛なる」存在であるか、を主張することが目的です。

近々『ハリー・ポッターと賢者の石』から始めたく思います。
改めてハーマイオニーの良さを確認しあいましょう!!(何のために?)