その3

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出雲大社・・・
飯沼賢司『環境歴史学とはなにか』山川出版社、2004年.という本を読んで以来、
一度行ってみたい場所でした。

平安時代の『口遊』(くちずさみ)という本によると、
「雲太、和二、京三」と記されていて、当時の日本の最大規模(高さ)を誇る建物は、
第一位が出雲大社、第二位が東大寺大仏殿、第三位が京都の大極殿だったそうです。
どうも平安時代出雲大社の神殿は48mという壮大なものだったようです。
平成12・13年の巨大な柱の発掘で、この巨大神殿の伝説が現実のものとなったわけです。

が・・・神殿の高さについての信憑性は論議されても、
「なぜ高い建造物にする必要があったのか?」という問題については議論が及んでいないようです。

上記の本によれば、神社とは自然界と人間界の境界に建ち、神と人とが交信する場、だそうです。
故に水源と認識される場所に建てられることが多かったようです。
しかし神社は排水点に立地する場合もあるとのこと。

ちなみにある土地に伝わる昔話や伝説の中で、よく大蛇が村を襲って、若い女を人柱にして大蛇の怒りを鎮める・・・みたいなのがあります。
大蛇の伝説が残る土地は、大よそにして、川の氾濫に悩まされた地域です。
川を蛇に見立てた物語なんですね。

出雲の国は『古事記』における、須佐之男命(すさのおのみこと)の八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治の話で有名な所です。
出雲大社の祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)で須佐之男の六世孫です。

風土記』の記述などから出雲大社の周辺は排水が悪く、洪水の時の排水が困難だった状況が察せられます。
現在は人工的に作った堀川によって排水されるようです。
しかし鎌倉時代の絵図などを見ると、鎌倉時代にはこの堀川はまだ作られていなかったか、描かれていません。

そんなわけで、飯沼氏は上記の本で次のような結論を出しています。
「なぜ出雲大社が高い社殿を建設する必要があったのか」
それは「厳島神社と同じく、社殿が水の中に浮かぶことを想定し、建設されたからではなかろうか」と。
そんなわけで、
出雲大社は悪水の排水地に立地し、そのコントロールを神に祈る場所だったと考えられるのだそうです。

今回Jackはこの視点に立って、出雲大社に参拝してきました。
まず写真一枚目は堀川です。
出雲大社駅を出て、大社とは反対方向に2・3分ほど歩くと見ることができます。
この川の近くに鳥居があって、大社方面に参道を進むと、大鳥居に向かって上り坂になります。(写真二枚目)

この辺りまでは別に???なことはないのですが、
この大鳥居をくぐった先が、出雲大社は他の神社とはちょっと違う地形・立地なんですよねぇ・・・