阿部謹也「世間」論

久しぶりに本の紹介です。

お手軽に読めそうな阿部謹也氏の「世間」論についての著作です。
専門書っぽくない、新書と文庫を選びました。

この阿部謹也氏は一橋大学の学長も勤めた正真正銘の学者さんです。
西洋中世社会史研究の第一人者ですが、
「世間」ということをテーマに、面白く日本社会・日本人を論じた著書も多数あります。
Jackはもっぱら、この「世間」についての本ばかり読んでいて、
この方の専門である歴史の本は読んだことがありません。

今日は四冊ご紹介!ラインナップは・・・
①『「世間」とは何か』(講談社現代新書、1995年)
②『日本社会で生きるということ』(朝日文庫、2003年)
③『日本人の歴史意識―「世間」という視角から―』(岩波新書、2004年)
④『近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本―』(朝日新書、2006年)

阿部氏は「世間」という視点を用いながらも、日本とヨーロッパの違いを
強調しつつ日本の社会を説明しています。

①は「世間」という単語が、日本でどのように使われてきたか、
まずその歴史を紹介し、
吉田兼好親鸞井原西鶴夏目漱石永井荷風から世間とは何かが説明されます。
成る程!!と思わせる半面、現代を生きる我々には、漠然と感じる部分もあります。

しかし②は、現代社会における「世間」のいまいましい実例が満載で、
この四冊中では、一番読み易いかもしれません。
この本では「世間」と差別の関係がわかるようになっています。
会社や学校などの上下関係、学閥、県人会、同窓会などから
政治家の派閥、さらには同和問題まで・・・
「なんか、従いたくない仕組みなんだけど、従っとくと徳かも?」
と言う感じで、日本社会ではあたり前だけど、
どうも「正義」とは遠い感じがする、「長い物にはまかれろ」という意識が
本当によく説明されています。

さらに日本人の「自分さえ良ければ」、もしくは
「自分が所属している組織さえ安全なら」という勝手な価値観や
その所属組織内での身の置き方、まもるべき本音と建前が明らかにされ、
日本人であれば、うなずくことばかりです。

③は、そんな自分の所属組織優先の日本人が、
歴史をどのように見るか、意識するか・・・というのが主題。
きっと歴史研究家の方々には、読み応えがある本なのだと思います。
でも歴史を専門で学んでいない、一般の人でも読むに耐えると思います。
恐らく、歴史を学ぶっていうことは、
高校までの暗記重視の勉強を指すのではないのでしょうね。
でも世間に身を置いている日本人には、歴史ってものは暗記で終わるもの。
つまり現代社会とはつながりのない事件を知識として覚えるという、
教養以上の重要性はないように感じます。

④は、阿部氏の絶筆です。
阿部謹也氏は2006年9月に他界されています。
前半はヨーロッパの歴史の話。
特にヨーロッパにおいて差別される職業が、
どのように生まれてきたのかがわかって面白いです。
娼婦や死刑執行人、皮剥なんかは蔑視されるのも、なんとなくわかりますが、
粉ひき、陶工、理髪師なんぞは、何故?と思ってしまいます。
このヨーロッパの例と日本の差別の例を比べられるように説明があり、
日本の「世間」って、怖いなぁ・・・と思ってしまいます。

以上の中では、②と④を読むと、
「「世間」を踏み外しては生きていけない日本」というものを
かなり理解できるようになります。

読後感はスッキリしないんですが、
なんか、首を縦に振りながら読んでしまう、
不思議な本たちです。