3つの協奏曲

Jackが現在の指導教授に、初めて自分の論文を見せた時、
「表現が謙虚すぎる」と注意されたことがあります。その意味するところは…
自分の意見や主張など、言いたいことはキチンと伝わるように書かなくてはいけない、ってことなんですが、
案外に人は、他人の文章の意図を読み取ることなく、自分勝手に解釈するものです。
大学入試の現代文で、「著者の主張はどれか」的な問題が成立するのも然り。
Jackが書いているのは学術論文なので、読み手の感情に訴える表現はご法度ですが、
強調すべきところは、ちゃんと読み取ってもらえるように書く必要があります。
もちろん、自分ならではの意見や主張があることが、大前提なのですが。
 
 
前置きが長くなりましたが、3月4日にHZM(3人のピアノ演奏家)のコンサートに行きました。
この御三方の演奏を聴くのも、もう何度目か???という感じなので、
このレビューも、曲レビューでなくて、演奏家レビューでいってみようと思います。
(なんて身のほど知らずな…)
 
まずはお一人目、近江秀崇@リスト(死の舞踏)
三人の中でいちばん安心して聴くことができるのは、彼の演奏でしょう。
Jackは素人なので、専門的なことはチンプンカンプンですが、
恐らく、技術的にとても高いレベルなのだと拝察します。
彼の演奏は「かたい」…と言っても、「硬い」ではなく、「手堅い」ですが。
直接お話ししたことはないので、どんな方だか存じ上げないのですが、
彼は、自分の解釈に忠実なのだ…と想像します。
 
今回の曲に対しても、彼なりの解釈があるのだと思います。が、
聴衆に対して、それほど強くアピールするわけではなく、
「皆さんの好きなように解釈してください」と言われている気分になります。
故に、彼の解釈とは無関係に、好き勝手に心中受理させていただいております。
 
そんなわけで、彼の演奏を聴いていて、押しつけられたり、呑みこまれることはなく、
色々な意味で、冷静に安心して聴いていられるんですね。
もっともJackは、リストの曲に呑まれたことがないのですが。
死の舞踏…そんなにオドロオドロしい曲じゃないよね。いいとこ百鬼夜行くらいかな。
 

二人目、金澤亜希子@バルトーク(ピアノ協奏曲第3番)
彼女の場合、HZMの中では随一のパフォーマーなんですけどね…
 
その昔「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」と言った貴婦人がいたそうですが、
彼女の演奏には、パンがあってもお菓子を食べるような、
小学生男子の食生活を思わせる奔放さがあると思うのですが、
今回は不発だったのかしらん??
 
彼女は、自分の野心に忠実だ…と確信します。が、
今回は、その野心を追求するところまでいってなかったのかもね。
いつもなら、聴衆に「どう見せるか」「どう聴かせるか」に考えを巡らせるところを、
この日は、聴衆に「どう聴こえているか」が気になっていたとか?
…第3楽章あたりで「早く終わらせたい…」みたいな心境だったとか…
 
演奏についての細かいことは、ま~ったくサッパリわかりませんので、ノーコメントですが、
演奏後の挨拶やらMCやら、なんだぁ、その自信なさげな物腰は??
一年前とはえらい違いですねぇ。そんなに早く引っ込みたかったのかぁ?
たま~に、カワイイ金澤亜希子を見るのも悪くないですけどね。
 

三人目、新井彩香@ドホナーニ(童謡(きらきら星)の主題による変奏曲)
最後の方、「ノリノリで弾いているな、コイツ」と思ったけど、勘違いかな?
 
Jackは、彼女のことを「感情を内に秘めるタイプ」と思っていたけど、
最近は、そうでもないかも?と思っている。
ただ、彼女にとって、感情を出しやすい曲と、そうでない曲があるようですが。
 
彼女は、自分の感覚に忠実だ…と推察します。が、
その感覚を、聴衆に同調させることができなければ、まったくの「独りよがり」になる可能性も…
もしかしたら、三人の中では一番「オレ様」かもよん。
「私の感覚について来い!!」ってな感じ。
 
この日は、この点では大事なかったと思います。
バルトークの方がダイナミックですが、ドラマティックな点ではドホナーニ!
聴衆もついていきやすかったと思います。
 
弾く時に、いろいろと妄想すると伺っておりますが、
心が成長(?)して、妄想…というか、感覚の「受け皿」が大きくなれば、
曲に対する表現の奥行きも広がるのかもね。
「30代には30代の文章が、40代には40代の文章があり、それ以上でもそれ以下でもない」
Jackの大学の東洋史の教授の言葉ですが、
彼女の演奏にも、そんな側面があるかもしれません。
 

今回は、オールハンガリープログラムで、
近江秀崇@リスト/金澤亜希子@バルトーク/新井彩香@ドホナーニ
だったわけですが、どんな訳で、この組み合わせが決まったのでしょうか?
(じゃんけん…ってことはないでしょうが)
 
Jackは大学で、後輩院生や学部生の論文執筆の相談にのる際に、
「論文の文章中には、「私」という一人称は用いるべきではない」とアドバイスします。
すると、大抵の場合「自分」という個性を表現できないと、不満げな顔をします。
しかし、学術研究における個性の表現は、研究テーマを選ぶ行為に特化することになります。
Jackの場合、「ハンガリーの国境問題」なんてことをやってますが、
こんなテーマを選ぶことそのものが個性なんですね。
 
では、リスト・バルトーク・ドホナーニの選択は、それぞれの演奏家の個性なのでしょうか?
これは、恐らく「否」でしょう。
この選択は、HZMというグループにおける、演奏家一人ひとりの「立ち位置」の反映かと??!
まあ、まったくの憶測ですけどね。
 
彩香ちゃんは、毎度、和装で登場しますが、
あの着物に、あの帯をね…そんでもって、あの帯揚げ。上手く合せるものですね。
(実際に見ていない人にとっては、何のことやら)
 
プログラムの裏表紙、ハンガリー語のスペルが間違っていたのは…
見なかったことにしよう。