『山とある日』

東京の渋谷駅から宮益坂を登って青山へ、国連大学の方へと向かうと、
道の左側に二軒の古本屋があります。
この道を通った時は、必ずこの二軒で足を止めるようにしています。

ある日、このうちの一軒の店先のワゴンの中に『山とある日』という本を見つけました。
中公文庫から昭和54年に刊行された本で、上田哲農(うえだてつの)という人によるエッセーです。
著者は画家である一方で、谷川岳北アルプスの困難なルートの開拓に取り組んだ人でした。

「まえがき」によると、『山とある日』というのは
「山と有る日」「山と在る日」「山と或る日」の三つの意味があるそうです。

エッセーはあまり読まないのですが、薄い本だったので買ってみることにしました。

Jackは自分が好んで勉強するために読む本には、三色ボールペンで書き込みをします。
赤で「著者が主張したい」と思われる所に線を引いたり、四角でくくったりします。
緑で著者の主張ではなく、著者が提示したデータや引用で、Jackが重要と思った部分をチェックします。
青でJackが個人的に魅かれた部分に線を引きます。
学術書の場合、青で引く部分は文章展開や論の構成上、技術的に見習いたいところなどになってしまいます。

エッセーや小説などでは、こんな線引はしなくても良いと思いますが、今回はお試しで線を引いてみました。
青で引く所がJackの心惹かれたところになるのでしょう!

赤でチェックしたところは、「アルピニズム」についての著者の考え方が現れた部分が多くなりました。
緑で引いたところは、登山をする上で参考にできそうな登山技術が記された部分となりました。

青で引いた所もたくさんありましたが、その中でも、線を引いて余白にコメントまで書いてしまった部分をご紹介します。
119頁の「弱虫」の項の冒頭です。

  ――死ぬことがこわくて、どうして生きることができるんだ。
  “死ぬことがこわくなくて、はじめて生きることが、できるんだ”

という部分ですが・・・
Jackはここで、「逆ではないの??」と思ってしまいました。
Jackの思う所では、死ぬことの怖さを自覚してこそ生きていけるのだ、という感じなのですが、
この著者に言わせると逆のようです。

著者は上記の言葉を、「山でも、街でも、むずかしい立場に追いこまれると、いつも、自分に言いきかせる」のだそうです。
上述の言葉は「山と在る」ために必要な心境を表したものなのでしょうか?
山に接する心持というのは人それぞれですね。