大観

かなり以前にNHKの金曜夜の番組『美の壺』で、水墨画の掛け軸の鑑賞法を解説していました。
掛け軸は床の間に掛けるのが前提で、床の間の明かりとりの窓の方向によって、掛けるにふさわしい絵があるらしいです。
明かりとりが向かって左にあれば、右側に影がある絵を!
明かりとりが逆ならば、図中の影もまた逆のものを! というわけです。

掛け軸にする水墨画は必ずと言っていいほど、左右のどちらかに影をつけて描かれているようですが、
水墨画だけでなく、日本画の多くがこの原則にのっとっているようにも思えます。

1月28日(火)、新国立美術館に『没後50年 横山大観―新たなる伝説』展に行ってきました。
この日は美術館休館日における特別招待の日!
Jack母が上手いこと、休館日チケットをゲットしたので、二人で出かけました。
Jackはこれまで、大観の絵をじっくり鑑賞したことがありません。

展示は年代順に古いものから並んでいました。
始まりは1889年からです
雪舟の山水図の模写などもあって、修行時代の様子もなんとなくわかる仕組みになっています。
上述の「影」という視点で大観の絵を見ると、
やはり、左右のどちらかに影がついていることが多かったように思えます。

日本画の構図というのは、「物事を正面からとらえて、左右のどちらからか光があたっている」というのが基本なのでしょうか??
絵の勉強をしたことがないJackにはその点が疑問です。

例えば目標を真上から見て、光は目標の正面から当たっているとか・・・
ああ、でもそんな構図は洋画でも少ないかな?
大よそにして絵の構図って、光が当たっている方角に広くスペースを作って、影になる方に色々と書き込んであるのが多いですかねぇ?

大観の絵もそんな感じの構図が多勢でした。
大観は1904年に岡倉天心アメリカに渡ったようで、洋行後は色づかいに変化があったように思われました(Jack素人評)
でも構図で、特に奇抜なものはなかったような・・・

大作もありましたよ。『生々流転』というやつです。
自然界における水の流れから「輪廻」を暗示させるような作品です。
最初は山中の小さな川、大海に出て、やがて水は龍に変化して天に昇る・・・みたいな感じでした。
長い紙に描かれた作品で、制作のためにかかった月日と集中力が思われました。

いいなぁ・・・これだけの絵を描くために集中できる時間があって・・・
絵がお金になるって、絵で食べていけるって・・・絵を描くのに集中できる時間を確保できるってことなのよねぇ・・・
時間はお金では買えないけど(いや、買える人もいるか!)、才能で買えるんですよねぇ・・・

大観は最初っから時間が確保できるような裕福な家に育ったのかしら?
それとも時間を確保できる身分になるまで苦労した人なのかしら?

大作を見ながら、かなり俗っぽいことを考えておりました。
肝心の大作の感想は・・・
描かれた木々が、絵本に出てくる木みたいで、かわいく感じられました。