風林火山最終回

一昨日の日曜日にNHK大河ドラマ風林火山』が最終回を迎えました。
井上靖の原作を好んでいるJackですが、ドラマはドラマとして楽しんでおりました。

Jackの感覚ではドラマはすでに原作とは別物と感じて、「これはこれ!」と思っていたので、
「原作のイメージを壊すな!」みたいな感想はないのですが、
勘助の死に方は原作の方が好みです。

ドラマの方は「勘助に愛が理解できるのか?」みたいなことが、
ずっと物語の主旨として貫かれていたように思いました。

物語半ばで雪斎(伊武雅刀)に「家族がいないのに、本当の愛を理解できるのか?」
みたいなことを言われて、
さらに三条夫人(池脇千鶴)の嫁がす子供を想う姿を見て、
勘助は自分との違いを思ったようでしたが、最後まで自分にできる愛の形を通すしかなかった・・・
みたいな描き方でした。

そして最後に家庭を持って、愛を知った平蔵(佐藤隆太)が生き延びることを暗示させ、
勘助が死ぬと・・・

最後まで観て、「これは時代劇だけど、現代劇だった」と思いました。
ここで訴えるべく描かれた「愛」や「死」「生」に対する価値観は現代のソレですよね。
決して戦国時代のソレではないと思うのです。

勘助と平蔵を対比させて描くことによって、
視聴者の持つ現代人の「愛・生・死」への価値観に訴えることができると思うのです。
やっと原作に出てこない平蔵の役割を理解することができましたよ!(勝手な理解かな?)

戦国時代の話を現代の「愛・死・生」の価値観を持ち込んで描いた!!
これがNHK大河ドラマ風林火山』だったと思うわけです。
まあ、Jackの思い込みかもね!

蛇足ですけど、「首をとる」「首を取り返す」みたいな、戦国時代において外せない価値観は描かれていましたよ!
でもそれはこのドラマの主旨ではないように思えるのです。

でも時代劇と言えど、視聴者は現代人だし、
視聴者への伝わりやすさや、共感されやすさ、を考えたら、
現代の価値観を持ち込まざるをえないと思うし、ドラマはあくまでフィクションですからね!!

Jackが時代劇を見て、「まさにフィクション」と思う時、それは
実在しなかったと思われる人物が出て来た時でもなく、
衣装や町並みが時代考証とズレていた時でもなく、
「現代の価値観」が物語の主旨として描かれた時です。

それが良いとか悪いとかではないのですよ!
でもね、戦国時代の「家庭像」と現代の「家庭像」はまったく違ったであろう・・・
ということは理解しておくべきかなぁ??

もっとも決してそれがドラマの素晴らしさを測る基準ではないけどね。